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アートマネジメント研究 第23号
ウェルビーイング,多文化共生とアイヌ民族
―「マジョリティ特権」と「和人フラジリティ」
田 未緒
1. はじめに
ウェルビーイングという言葉が文策との関係で
目されている.文(内田)の報告書によると,ウェル
ビーイングは的な充だけでなく,心ともに健
康な,あるいは幸せな状を指すようだ(文・内田
2022).文策との関連でいうと,例えばダンスや
劇,に関わること,またそうしたコミュニティに関
係することが,的・的な健康・幸のにつ
ながるというエビデンスをベースとして,文を余・
余なものではなく,充したに欠かせないものと
して策的に位づけていくという略と理すること
ができる.本稿はこの報告書を契機に,アイヌ民に関
する文策的状況を事例として 「ウェルビーイングと
文共」について考察することを試みる.
民的ルーツにかかわらず,文に触れることで的
好奇心が刺激されたり,文動で間や友ができた
りすることは幸を得るということにつながるだろう.
特定の心のについて,芸術や文動がもたらす
コミュニケーションや的動,自己現等が的
にをもたらすことを立証する研究もある(例えばク
ロシック・カジンスカ2022の7章).一方で,日本
は歴史的にアイヌ文を抑圧し,差別的な策を実施
してきた(シドル2021, 榎森2007等).こうした景
を考慮することなく,日本の派民(本稿では和
という)をルーツに持つ者や,和の策執行者や文
策に関わる研究者が,上記のような一的なエビデ
ンスを持って「文支をやせばアイヌの方が幸せに
なる」というロジックで文策をしたとすれば,
それはあまりに独的で,あまりに面的だ.者は基
本的に(そして一的な文脈において),文や芸術に
関わる公的事業や支には肯定的である.しかし,日本
の法律や度が禁止・抑圧し,社的にしてきたア
イヌ文を,日本が「国」として振興(興)することの
意味は,派が自のために文を振興することと
は根本的に異なっている.そのため本稿では,「ウェル
ビーイングと文共」を考える提として,さえ
ておかなければならない3つの立脚点について認する
ことにしたい.
2. 文化活動を困難にしている歴史的・社会的背景
現在では思や査手法にくのがあるものの,
金田一京助などの明治期の等からは,現在「伝統文
」とばれるような文的識がアイヌのコミュニティ
のにづいていた様子が見て取れる(金田一2004).
しかし砂クラ(1897-1990)によるアイヌ語の自伝や
北道の原衣による自叙的民誌では,それま
でのが日本や移民した和たちによって強的
に変させられていく様子,それにより困窮に陥ってい
く様子,その々で,言語やアイヌ語の名,文的な
動等が禁止や抑圧によりこぼれ落ちていく様子が語ら
れている(砂2012,原2020).差別的扱いやそれに
起因する困難の連鎖は現までいている.例えば北
道による査には,差別験の実が目をいた
くなるほど々しく報告されているし,野・秋山の論
文では,母が両からアイヌ語をえなくていいと言
われたことが書かれている(北道2019,野・秋
山2022).北道の北原モコットゥナㇱ准教授は,
こうした景の影響について以のように述べている.
母も母の妹も,その子どもたちも,差別
験がを変えてしまい,アイヌについてねても
容易に語ってくれなかった.私のが文の取り
戻しを試みても,母のがった傷がそれを
んでいる.文的なには,心理的なが
なのだ.そのためには,和による植民や文
・のが,歴史的な義であると社
が理することが重要である.文振興は々の
思いや歴史に向き合った取りみと両輪でめなけ
れば,そこにアイヌ民自が近寄れない現状は変
わらず,文的なは望めない.(北原2022a)
どのような文脈であれ,日本の公的機関がアイヌ民
と関連する文事業や支を実施するには,まずこうし
た歴史的景や,国としてそうした状況を強いてきたこ
とを理しなければ,的れになるばかりである.
3. 文化偏重の先住民族政策への賛否
文動をしてきた歴史的景について自的に
なると同時に求められるのは,近年の日本の住民
策における文のあり方をることである.明治の同
策の根である「北道旧土保護法」は1997年の
アイヌ文振興法(称)により止され,2007年の
国連「住民の権利に関する言」と2008年の国