近代花道史における自由花運動の再検討
『二十世紀研究』第 10 号(2009 年 12 月)
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近代花道における自由花運動の再検討
井上 治
はじめに
明治維新による日本社会の激動は、伝統的価値観の正当性を大いに揺るがせ、
花道や茶道などの伝統芸道を機的状況に陥らせた。花道は明治中から復興の
兆しを見せるが、この復興の機軸のひとつとなったのは西洋由来の「芸術」の概
念であった。昭和 8 年(1933 年)に重森三玲らによって起草された「新興いけ
ばな宣言」は、この芸術としての挿花、すなわち「いけばな芸術」への志向を明
確に示すものであり、その理念は第二次大戦後の「前衛いけばな」の隆盛に具体
する事となる。
自由花運動が展開されたのは、「新興いけばな宣言」の起草に先立つ 1920 年
代から 30 年代にかけてである。今日この運動は、伝統の束縛に抵抗し新時代へ
の幕を開いた花道革新運動とみなされている。同運動は西洋の近代美学理論を支
柱とし
1)
、現代美術との接点となるもの
2)
、すなわち花道において初めて近代の意
識を明確にするものであり伝統的な束縛を脱してより自由な表現を目指したも
の
3)
、として評価されてきた。
本稿の趣旨は、この自由花運動の性格を改めて問い直すことである。近代以降、
花道は特定の価値観、具体的には上記「いけばな芸術」に対する貢献と限界と
いう評価軸に基づいて述されてきた。自由花運動に関しても例外ではない。本
稿では、自由花運動の指導者である山根翠堂をり上げその思想を辿ることによ
って、同運動の意図を「いけばな芸術」の発展に沿った線的な進歩観に還元
することなく再評価することを目的とする。一種の総合的思想体系であった芸道
思想が、近代以降、「芸術」や「宗教」といった新たな概念が氾濫する中でどの
ように自己を再規定していったのかという問は、現代日本文論において重要
な意味を持っている。翠堂の自由花思想は、この問にひとつの視座を与えるも